大判例

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大阪高等裁判所 昭和62年(ラ)350号 決定 1987年11月19日

抗告人 大木広史

相手方 大木瞳

主文

原審判を取消す。

本件を大阪家庭裁判所に差戻す。

理由

1  本件抗告の趣旨および理由は別紙記載のとおりである。<抗告の趣旨省略>

2  当裁判所の判断

一件記録によると次の事実を認めることができる。

(1)  抗告人と相手方は、昭和58年3月26日婚姻した夫婦であるが、抗告人は幼時に少児麻痺に罹患したため、歩行の不自由(独行可能)と言語障害があり、相手方は両足が不自由でやつと自力歩行ができる状態である。

(2)  抗告人は、婚姻後も兄の経営する株式会社○○金属製作所に工員として働いて月給20万円を得ていたが、起床時間も遅く、遅刻や欠勤が多いため、右兄から「他の従業員の手前困る、勝手に休ませないようにしてくれ、仕事にきつちりいかせるのが嫁の務めだ」と言われたので、相手方は困つたこともあつた。

(3)  抗告人は、○○身障者職業訓練校機械製図科と○○○○○○専門学校機械工学科を卒業しており、右会社に就職する前は機械製図の仕事に従事していたので、その仕事を独立して行おうと考えて、昭和58年7月頃右会社を退職し、その頃から機械製図の仕事に従事するようになつたが、月収が約10万円位(多い月は約20万円位)の収入を得ていたが、収入が思う程にない月には抗告人の貯金(抗告人には、母から相続していた相当の遺産があり、これが貯金されていた)を一部おろして生活費に当てることもないではなかつた。そのため相手方は生活に不安を感じ、定収のある仕事に従事して欲しい気持ちがあつた。

相手方は、婚姻前からその実家でエレクトーンの教師をしており、婚姻後も抗告人の運転する車で送迎してもらつて週3回程実家でエレクトーンを教えていた。

(4)  相手方は、抗告人の仕事に対する態度について不満をもつていたけれども、格別大きな波乱もなく平穏な夫婦生活を送つているうち、相手方が妊娠し、昭和59年4月出産のために実家に戻り、同年5月16日美子を出産したが、同児が動脈管開存症であることが判明したので、相手方と美子は暫く相手方の実家に留まることとなり、抗告人もそれを了承した。抗告人は、右昭和59年4月から相手方と別居していたが、週に1、2回相手方の実家に顔を出しており、当時相手方の父は「真面目で固すぎて苦手の存在」であつたが、相手方との仲は悪くなく過していたが、同年8月頃、相手方は美子の病気のこともあり、これまでの抗告人に対して抱いてきた不安を父に伝えたところ、父は驚いて抗告人とその兄にこれを伝えて善処するように求めた。

(5)  その後、抗告人は右会社に復帰し、真面目に働くようになつたので、美子の退院後には相手方も抗告人方に戻るつもりでいたが、抗告人が相手方の両親が折角作つた面会の機会をむだにしたり、相手方の母の車の送迎を約束したのにその時間に遅れたりしたことなどが重なり、相手方の両親は抗告人に対し、不満や不信をつのらせた。

(6)  昭和60年3月、美子が手術の結果が良好で退院した後、抗告人は相手方に対し、抗告人方に戻つてくるように求めたが、相手方は抗告人の抗告人と実家の二者択一を迫る言い方に反発してこれに応じなかつた。

この頃、抗告人は、相手方が美子を連れて抗告人方に戻つた場合、相手方の実家の協力を得るためにも相手方の実家の近くに住むのがよいということになつて、抗告人、相手方、抗告人の同胞らがマンションを見つけ、相手方も一応了承して、手付金を支払つた後、相手方の父から「9階を選ぶとは非常識だ。」とクレームが付いて駄目になつたこともあり、双方の不満は一層強まつた。

同年6月、相手方の父が抗告人とその兄を訪ねて「自分の希望としては離婚させたい。」と申し入れたが、その際、受け取つた相手方の手紙には「3分の1は3人でなんとか同居していきたい気持ちはあるが、後の3分の2はどうしていいか分からない。」と書いてあつた。

(7)  同年7月、抗告人とその姉良子とが相手方の実家を訪ね、抗告人と相手方2人が話し合つた結果、相手方は「抗告人と自分の父とが不仲では困る。父の気持ちに背いてまでも同居する気持ちはない。」と述べた。

(8)  相手方は、同年8月、実家への転入届を了し、相手方と美子を抗告人の被扶養者からはずして欲しいとの手紙を抗告人宛に出した。抗告人は、昭和60年7月以降、相手方の実家へ訪問することがなかつたが、相手方から手紙を受け取つて、弁護士○○○○に相談したところ、相手方の叔父が弁護士であることを知つて、○○弁護士から同人に仲介を依頼したところ、同人の「遠慮せずに相手方実家へとびこんで行けばよい。」との忠告に従つて、同年10月、抗告人は相手方実家を訪れたが、相手方の父に拒否されて、相手方らに会うことができなかつた。その後も○○弁護士の手で双方が融和するように働きかけたが、話合いは進行しなかつた。

(9)  抗告人は、同年12月19日、相手方の同居を求める調停を申立て、調停期日は4回開かれたが、相手方およびその父は第1回期日に出頭しただけで、調停は不成立となつた。また、抗告人は、昭和59年4月、相手方と別居したときから、毎月3万円の生活費を昭和60年3月まで送金していたが、その後、右毎月3万円の生活費の送金を中止した。右調停申立に際し1年分として金30万円を相手方に送金したが、相手方が受領を拒否した。

(10)  抗告人は、前記調停および家庭裁判所調査官による調査の段階を通じて相手方との同居を強く希望しているが、相手方は抗告人と相手方の父親との仲が悪く、抗告人の生活態度などが早急に変化することも望めないことなどから、抗告人との離婚を望む気持ちが強い。

以上の事実が認められる。

民法752条の「同居」とは、夫婦としての同棲、すなわち、住家を同じくして夫婦共同生活をすることであるから、同居拒否を形式的に義務違反とするのではなく、夫婦関係の実質および婚姻共同生活の維持向上という目的等に照らして同居拒否の正当事由を検討し、別居の止むなきに至らしめた原因が同居請求者にある場合、同居請求者が別居につき責任がなくとも、同居が客観的に不可能な場合、合理的な夫婦共同生活の必要から一時的に別居した場合、婚姻関係が破綻し、夫婦たるの実を失つているような場合には、別居していても同居義務に違反していないとされる場合があることはいうまでもない。

これを本件につき検討すると、前記認定事実によれば、抗告人と相手方は、昭和58年3月26日に婚姻届を了した夫婦であるところ、相手方が妊娠し、昭和59年4月、出産のために実家に戻り、別居生活に及んだものであつて、同年5月16日に美子を出産したけれども、同児が動脈管開存症であることが判明したので、その手術のために入退院する期間さらに別居を合意したが、相手方は、美子が昭和60年3月退院した後も抗告人の同居請求に応じないものであることが明らかである。

この点について、相手方は、同居拒否の正当事由として婚姻関係が破綻していると主張するもののようであるが、前記認定事実によれば、抗告人と相手方との婚姻関係は、相手方の父と抗告人との不仲がその婚姻関係につき悪影響を及ぼしていると認められなくはないけれども、右婚姻関係が全く破綻して、夫婦たるの実を失つたものとまでは認めがたいし、その他、同居拒否の正当事由を是認するに足る資料はない。

よつて、右と結論を異にし、抗告人の同居請求の申立を却下した原審判は相当でないから取消すこととし、抗告人の相手方に対する同居請求をいかなる形態における同居が民法752条に定める同居の趣旨に適合するかを合目的的に判断し、同居を命ずる審判によつて当事者間に当該態容における具体的同居請求権ないし同居義務を形成して、具体的婚姻生活の調整を図るため、職権でさらに事実調査、証拠調べをしなければならない(家事審判規則7条1項)から、家事審判規則19条1項により本件を原審大阪家庭裁判所に差戻すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 上田次郎 裁判官 阪井いく朗 川鍋正隆)

抗告の実情

抗告人と相手方は昭和58年3月26日婚姻をした夫婦であり、婚姻後抗告人肩書住所地において、円満なる婚姻生活を送っていたものであるが、相手方は昭和59年4月出産のため相手方の実家である相手方肩書地住所地に帰って以来、抗告人の再三の要請にもかかわらず、抗告人の許に戻ろうとしない。

相手方には抗告人との同居を拒む何らの正当の理由はないし、まして相手方との婚姻関係が破綻し、その原因が抗告人の生活態度や行状にあるとの事実も全くない。

しかるに、原審判は、抗告人と相手方が別居に至っている真の原因ならびに婚姻関係の破綻の有無等に関し、重大な事実誤認(何らの証拠に基づかず抗告人にのみ不利益な事実を一方的に認定し、相手方およびその親族の責任原因についてはことさら全く目を覆ってしまった偏頗かつ理解に苦しむ事実認定ですらある)を犯し、本件同居申立を却下するに至ったもので、極めて不当である。

なお、抗告人としては、事実関係等につき、さらに詳細な主張と証拠を提出する予定である。

よって、抗告の趣旨どおりの裁判を求めるため、本申立に及んだ次第である。

1. 原審判の事実認定について

原審判は「当裁判所の判断」として(1)ないし(12)の事実を認定しているが、これらの事実認定については、そもそも重大な誤りがあるので、以下にはまずこの点から指摘する。

(1) について

原審判は「申立人は歩行が不自由である」と認定しているが、かかる事実は全くない。

申立人は学生時代に障害者の全国体育大会の卓球の種目で2位に入賞したことがあり、両上肢、両下肢は健康人のそれとほとんど変わらず、相手方との婚姻生活でも独立歩行が困難な相手方に対し、終始介添えを行って同人の歩行を助けてきたもので、これにより相手方も婚姻前に比し多くの外出の機会を得ることができ、相手方からはもとよりのこと、相手方の両親からも喜ばれていた程であった。

(2) について

原審判は「相手方は前記兄から、申立人を勝手に休ませないようにしてほしいと言われるなどして困惑した」と認定しているが、申立人の兄が相手方にそのようなことを言ったことは全くない。

申立人は相手方と婚姻した当時兄の経営する会社に勤めていたが、相手方と婚姻した後は所帯主となった自覚と責任を新たにし、以前にも増して遅刻や欠勤をしないことを心懸けていた。

申立人は兄の会社で部品の品質検査を担当し、婚姻後遅刻することがあったにしても、たまにのことであり、それも始業時間(午前8時)に5分か10分位遅れるだけのことであった。

また、申立人は小児マヒに罹患したため、若干疲れやすい体質があり、緊張の連続を要する検査の仕事が申立人の体に負担をかけさせる面もあって、結婚後においても月に5日間位欠勤したことがあったのは事実である。

しかし、申立人は体力の許す限り会社に出勤していたのであって、申立人の兄もこのことは承知していたことであった。それ故申立人の兄が申立人夫婦の家に行った折に、相手方に対し、申立人の上記事情を踏まえた上で、ハンディを乗り越えて二人が協力して申立人の会社勤めが円滑に行くよう心懸けて欲しいと話したことがあった。申立人の兄が相手方に話したのはこの趣旨のことであって、相手方はこの兄からの話を曲解しているのではないかと思われる。

(3)、(4)について

申立人が昭和58年7月に兄の会社を退職したのは事実である。

申立人が兄の会社を一旦退職したのは、申立人が○○身障者職業訓練校機械製図科と○○○○○○専門学校機械工学科を卒業しており、兄の会社に就職する前は別の会社に勤務して、機械製図の仕事に従事していた(約8年間)のであって、製図の仕事で身を立てたいとの希望がかねてよりあり、兄の会社ではこれがかなえられなかったことから、製図の仕事を独立して行うため、兄の会社を退職したのであった。

兄の会社を退職した後、失業保険の給付を受けたのも事実であるが、申立人は昭和58年8月から早速製図の仕事をし(製図の仕事は昭和59年1月から始めたのではない)、月平均約10万円位(多い月は約20万円)の収入を得(なお、兄の会社に勤めていた当時、兄の会社からは月給で20万円をもらっていた)、申立人の収入は全部相手方に渡し、二人の生活を維持してきた。

もっとも製図の仕事を始めて後、収入が思う程にない月には、申立人の貯金(申立人には母から相続した相当の遺産があり、これが貯金されていた)を一部おろして生活費に充てたこともないではなかった。

しかし、申立人は失業保険や貯金だけに頼る生活をしたのではなく、懸命に製図の仕事をして、前記のとおりの収入を得ていたのであった。

相手方は申立人と結婚する前からその実家でエレクトーンの教師をしており、婚姻後も申立人に車で送迎してもらって週3回程実家でエレクトーンを教えていた。これは申立人が兄の会社を退職した後も同様続けられたのであって、エレクトーンで得られた全収入はすべて相手方が自らの貯えとし、これが生活費の一部に充てられたことも全くなかった。

この一事よりしても明らかなように、申立人が相手方に金銭面で迷惑をかけたことは全くなかったし、事実相手方から金銭面で申立人に不満が述べられたこともなかった。

たしかに製図の仕事は定額の収入を期待しえない面があったから、兄の会社に勤めていた時と比較すれば相手方が不安を感じたとすれば、それはそうであったかも知れない。

しかし、原審判も認定しているように、申立人はその後昭和59年10月に兄の会社に復職して今日に至っているので、相手方のこの点の不安もその後完全に解消されているものにほかならない。

(5) について

原審判は「相手方が同年8月ころ相手方の父に対し、申立人に対し抱いていた前記不満を述べたところ、相手方の父は驚き、申立人とその兄にこれをつたえて善処するよう述べた」と認定しているが、相手方の父から申立人とその兄にそのような善処方を求められた事実は全くない。

申立人と相手方との子美子(昭和59年5月15日生)に心臓の先天的異常があり、手術の必要があったため、その手術を終えるまで、相手方と美子が相手方の実家にとどまることはやむをえないことと申立人も考えたことは事実であるが(但し、申立人には何故か美子の心臓に異常のあることは後日知らされた)、申立人は美子の出生後毎日の如く相手方のもとを訪れていた。

しかし、相手方の両親は申立人が美子を抱こうとすると抱いてはいけないといって拒絶したり、全く根も葉もないことに「お前には子供を心配する気があるのか」とか、実家に泊まったおりには申立人が朝起きてくると「瞳は不自由な体で朝早くから洗濯をしている。手伝いもせず遅く起きてくるとは何事か」とか「子供が病気なのに酒を飲むとはどういう神経か」、「娘がこんな男に貢いでいたかと思うと腹がたつ」等とかほかにも既に本件調停申立書に記載したような理不尽極まりない言葉を次々と申立人に浴びせかけるようになった。

(6) について

原審判は「申立人が相手方の両親との約束を守らなかったりしたことなどから、相手方の両親は申立人に対する不信を募らせた」と認定しているが、かかる認定は全く意味不明である。

申立人が相手方の両親との間でどのような約束をしたというのか、またその約束は申立人が当然守るべき内容のものであったのか等について原審判は何らの事実も明らかにしていない。

全く不充分な事実認定の記載といわざるをえず、反論のすべすらない。

(7)、(8)について

原審判は「美子が退院した後、申立人は相手方に対し、戻ってくるように述べたが、相手方は、申立人と実家の二者択一を迫る言い方に反発してこれに応じず、次第に申立人と別れる気持ちに傾いていった」と認定している。

しかしながら、申立人が戻ってくるよういった際、申立人との実家の二者択一を迫る言い方をしたことはない。

美子の手術も成功し、二人が同居するのに何の障害もなくなっていたのであるから(このため後記するように同居するための新居捜しまで行われていた)、夫である申立人が、妻である相手方に同居を求めることは当然のことである。

かりに二者択一を迫る言い方を申立人がしたとしても、そのこと故に妻である相手方がそれに反発し、同居を拒否する正当な理由となるものであろうか。

原審判も認定するように、相手方が常々「申立人と相手方の父とが不仲では困る、相手方の父の気持に背いてまでも申立人と同居する気はない」と述べていたのは事実である。

相手方が申立人と同居できない根拠として挙げていたのは唯一相手方の父の同意が得られないとの一事だけであった。相手方に申立人の生活振りや、金銭面で不満があったからでも、申立人を嫌いだったからでも全然ない。

既に成人し、申立人と婚姻までした相手方が、その父の意向に沿わないというだけで、申立人と同居することを拒む。かかる同居の拒否には何の正当な理由もないといわなければならない。

そしてさらに言えば、相手方の父が相手方が申立人と同居することに反対したとしても、その反対に真に正当な理由があったか否かも当然問われなければならない。しかし、原審判はかかる点については何も考えようとはしていない。

なお、原審判は、相手方が美子の退院後「次第に別れる気持ちに傾いていった」とも認定していること前記のとおりであるが、後記する新居捜しのころはもとより、その後の昭和60年6月ごろでも甲第2号証の手紙からも明らかなように、「私の心は今3分の1はあなたと美子と三人で何がなんでもくらしたい気持ちです。あとの3分の2はどうすればいいかまよっています」ということであって、この時点でも相手方は申立人と別れる気持を持っていたものではなかったのである。

(9) について

甲第3号証の手紙は相手方が住民票を移したあと申立人に送ってきた手紙であるが、住民票を移すことは、「私の勝手でたいへん申し訳ございません」と書かれていることからも明らかなように、相手方としてももとよりこれが当然正当化できる行為でも、当たり前の許される行為であるとも考えていなかったのである。

申立人は相手方が出産のため実家に帰ったあと、毎月3万円を生活費として相手方の実家に渡していた。しかし、後記する新居の一件のあと、相手方の父が露骨に申立人を嫌う発言を繰り返すようになったため、相手方の許を訪れようにもだんだん訪れにくい状態となり、それまで渡していた生活費も渡す機会がなくなったのであるが、調停中申立人は相手方に1年分の生活費(30万円)を送金したが、確たる理由もなくこれは送り返されてきた(甲第8、9号証参照)。なお、申立人は美子の出生以来、生活費とは別に、美子のため毎月4万円の積立定期預金(○○信用組合)と毎月1万円の○○生命の学資保険を今日まで継続してきている。

(10) について

原審判は申立人が昭和60年10月に相手方を訪れたときの模様を実に簡単に認定している。このときの模様は甲第4号証、甲第5号証の書簡で詳細が明らかになっているが、父親として娘にも会わさしてもらうことのできない無念さ、また娘に会うことすらさせない相手方の父に対し原審判は何の感慨すらもないのであろうか。原審判は事実の認定にあたり、相手方およびその父においてどのような行為をとっていたか、またそれが正当化できるものであったかどうか等については、何故か全く目を覆ったままであり、極めて遺憾である。

(11) について

相手方およびその父が、調停に出席しても解決できないと考え、以後出頭せず、調停が不成立となったのは事実であるが、本件で問われるべきは、相手方に申立人との同居を拒否できる正当な理由があるかどうかである。

相手方が調停に出席しても解決できないと考えたとしても、そのこと自体が同居を拒否できる正当な理由となるものではない。原審判の態度は必要な思考を敢えて停止させたものと評するのほかはない。

(12) について

原審判は、相手方は「申立人の生活態度等が早急に変化することは望めないことなどから、申立人との離婚を望む気持ちの方が強い」と認定している。

しかしながら、申立人の生活態度で、非難に値するようなものは何もないし、ましてその生活態度が相手方において同居を拒否できることの正当な理由となるものでも全然ない。

相手方が申立人との同居に踏み切れなかったのは、唯一相手方の父の反対があったからであり、かかる理由による同居の拒否に真に正当な理由があるかどうかが問われなければならない。原審判の事実認定は、申立人には同居を拒否できる正当な理由となる生活態度なるものがないにもかかわらず、一方的にこれがあるとして、相手方および相手方の父の行状には全く目を覆い、極めて偏頗な事実認定を行っているものといわざるをえない。

また原審判が相手方には申立人との離婚を望む気持ちが強いと認定している点であるが、調停委員より申立人らが聞いている内容は「相手方らは申立人と離婚したいと考えている訳ではない。何とかやり直せたらという気持ちである。父親と申立人との間に立って困っているのが実情。申立人と父親との修復を図って欲しい」というものであった(申立人代理人作成の調停の経過をメモした甲第6号証参照)。したがって、原審判の相手方の離婚意思の認定に関する点も理解しがたいものがあるが、かりに相手方において申立人との離婚を望む気持ちが強いのだとしても、だからといって相手方のその意向のみで本件同居申立の許否が決せられてはならない。

夫婦の一方に単に離婚を望む気持ちがあるというだけで、それが正当視できるか否かを問わず、別居が即正当視され、他方からの同居の申立が認められないとすれば、夫婦の同居義務を定めた民法752条などは全くあってなきに等しいものとなるのであって、かかる考え方は誤ったものであり、とうていとりえない。

2、原審判において見落としている事実について

原審判は、一方的に申立人の生活態度等に問題があるとして、相手方が離婚意思を有したとしても何ら責められるものではなく、同居を拒否してもそれもまた正当な理由があると認定しているもののようである。

しかし、相手方の離婚意思がどの程度のものであり、かつその離婚意思を持つに至ったとして、それが同居を拒否するに足りるような正当なものといえるのかどうか、また相手方の父親において申立人に対しとった言動がいかなるものであったか、同居の実現を妨げていた真の原因が何であったか等当然見極めて然べき事実の認定を原審判は何ら行っていない。

これらの点がいかなるものであったかは、本書や本件調停申立書において既に述べたとおりであるが、これを裏付ける具体例の一つとして申立人と相手方が新居捜しを行った事情を明らかにすれば、これらが一層明確になると思料するので、以下この点について述べることとする。

<1> 昭和60年2月10日に申立人の兄宅において申立人の父の33回忌の法要が行われたが、相手方もこれに出席した。

<2> 相手方はその折に申立人らに対し、1月に美子の手術も成功裏に終了し、近く退院できる見込みであるので、親子3人で生活を始めることにしたいが、ただ相手方の父がゲタばきでいけるような実家の近くに新居を構えて欲しいといっているので、この希望に沿うような新居を申立人の方で捜して欲しいと述べた。

<3> このため申立人の親族らも早速に相手方らの希望する新居を相手方の実家近くで捜そうということになり、申立人とその親族の4人で相手方の実家近くの不動産屋を尋ね、周旋方を依頼した。

<4> 不動産屋からは物件を案内してもらったりしたが、これといった物件がなく、2月19日その旨相手方の実家にいって報告したところ、相手方は新聞の折り込み広告を持ってきて、近くに分譲マンション(○○○○○○ハイツ)があるが、これならどうだろうかと述べた。

<5> このため早速に、申立人とその親族は相手方にも同道してもらって、そのマンションを見に行った。

同マンションでは9階の一室が空いていたので、同室を見せてもらったが、エレベーターを利用することが必要な9階ではあったが、丁度エレベーターの前の部屋であったので、相手方にどうかと尋ねたところ、相手方もこれで良いと思う、父にも報告するが、お任せしますという返事であった。

<6> こうして、その日は一旦それぞれが自宅に帰ったのであるが、そのあと不動産屋から電話が入り、気に入ったのであれば、早く手付けを打っておかないと他に買手が出るかも知れないといってきたので、申立人の親族より実家に帰っていた相手方に対し、手付けを打って欲しいといっているが、相手方もそれでよいかどうかの確認の電話を入れたところ、相手方からはそれでお願いしますとの返事がなされた。

<7> このため同日に手付金10万円を支払ったが(甲第1号証参照)、数日後申立人の親族があらためて相手方の父に新居の用意ができたことを報告に行くと相手方の父から「あんな9階のマンションをよく捜してくれたな」等といわれて、とりつくしまもなく追い返されてしまった。

<8> このため折角手付は打ったが、入居が不可能となったため、マンションの購入は諦めざるをえず、手付金は全額没収となってしまった。手付金が没収になったことについては、その後相手方の父からはもとよりのこと、相手方からもこれを気にかける言葉はついに一言も聞かれなかった。

以上、この新居捜しの一件からも明らかなように、相手方には当時申立人と同居しようとの意思があったことは確実であって(相手方の父親も同居を認める意向のあったことも確実であるが)、その実現を阻んだものは、外ならぬ相手方の父親の身勝手であった。

原審判は誠に不思議なことにこの新居捜しの一件については、一言半句も触れることをしないが、この一件は相手方の同居意思がどのようなものであったか、そして相手方の申立人との同居の実現を阻んでいた真の原因が何であったかを見極める上で、極めて重要な手懸りを提供している。

3. 原審判の最終判断について

原審判は前記(1)ないし(12)の事実を認定した上で、

<1> 申立人と相手方の信頼関係が失われていること

<2> 相手方もむしろ申立人との離婚を望むなど、両者の婚姻関係は破綻していること

<3> 婚姻関係の破綻の原因は、申立人に対してかたくなな相手方の父の態度にもあるとはいえ、主として申立人と相手方との生活態度の相違や前記(2)ないし(4)、(6)のようなこれまでの申立人の行状にあると考えられるものであること

<4> 現段階では申立人と相手方の同居することにより円満な婚姻生活を実現することはもはや期待することができないこと

により相手方に同居を命ずることは相当でないとの最終判断を下している。

しかしながら、右最終判断の基礎となった事実認定に根本的な誤りのあることは前記したとおりであり、申立人と相手方の信頼関係が失われているとか、婚姻関係が破綻しているというようなことも全然ありえない。この点はとくに調停委員に対し相手方が離婚は考えていないと明言していたこととも完全に食い違っているし、原審判の判断は余りにも性急である。

まして破綻の原因が主として申立人の行状にあり、相手方が同居に応じないことにつき正当な理由があるかのような判断に至っては、独断以外の何ものでもなく、全く論外である。

原審判は最終判断でわずかに、その原因が申立人に対してかたくなな相手方の父の態度にもあると判断しているが、全く意を尽くしておらず、どのような態度がかたくななのか本来当然指摘できて然るべきはずの具体的な事実は、あえて指摘せずに済ませてしまっている。

本件で同居が実現しなかったのは、申立人の行状とかが問題であったためではなく、専ら相手方の父が我子と我孫を手許に置きたいために、申立人の立場を全く無視して、申立人を遠ざけ、自らの勝手を通そうとしたこと、そして、相手方も申立人の妻であることを忘れてそれに盲従したことにすべての原因がある。

申立人と相手方はその同居中円満に婚姻生活を送っていたものであるし、同居を阻んだ真の原因も父親の態度にあったのであるから、相手方さえ父親に盲従せず、再び申立人との同居に踏み切りさえすれば、従前と同様の円満な婚姻生活を営むことは充分に可能なことである。

かりに今相手方において父親の影響により申立人と離婚する意思を有するのだとしても、同居の可否を決する審判ではそのことだけを理由に同居を命ずることが出来ないと結論すべきではない。そうでないと、夫婦の一方が理不尽な理由で同居を拒否している場合であっても、離婚意思さえあれば、それが正当であろうとなかろうと常に同居を命ずる審判が出来ないことになる。同居の審判は、同居を拒否するものに真に同居を拒否する正当な理由があるか否かによって結論を出すべきものであって、この点について正当な理由がなければ、かりに同居を拒否するものに離婚意思があっても、同居を命ずる審判をなすべきである(別居状態にある夫婦において一方が同居を求めるのは、他方がこれを拒むからであって、同居を拒む正当な理由がないのに離婚意思があるというだけで、同居を命ずる審判が出来ないとすれば、凡そ同居を命ずる審判などありえないこととなり、それでは何のための同居審判の制度なのか、その存在意義すら疑われることとなるであろう)。

いずれにしても、原審判は極めて偏った事実認定を行い、本件の真相を正確に把握しようとしなかったために、全く誤った結論を下したものであって、何の原因も責任もない申立人に一方的にこのまま別居に甘んずることを求める以外の何ものでもなく、申立人としてはとうてい承服しがたいものである。

追って、本件については、事実の経過を明らかにする申立人ら親族の陳述書を提出する予定である。

〔参照〕原審(大阪家昭61(家)2734号昭62.6.22審判)

主文

本件申立てを却下する。

理由

1 申立ての要旨

申立人と相手方は夫婦であるが、昭和59年4月相手方が出産のため実家に戻つて以来別居状態にあり、申立人は相手方との同居を強く希望しているにもかかわらず、相手方の両親が申立人を中傷するなどして遠ざけようとするので、申立人と相手方は同居することができない。よつて、相手方は申立人と同居せよとの審判を求める。

2 当裁判所の判断

本件記録によると、以下の事実を認めることができる。

(1) 申立人と相手方は昭和58年3月26日婚姻をした夫婦であるが、申立人は幼時に小児麻痺に罹患したため、歩行が不自由で言語障害があり、相手方は両足が不自由でやつと自力歩行できる状態である。

(2) 申立人は婚姻後も兄の経営する会社に勤めていたが、起床時間も遅く、遅刻や欠勤が多いため、相手方は前記兄から、申立人を勝手に休ませないようにしてほしいと言われるなどして困惑した。

(3) 更に、昭和58年7月ころ申立人は前記会社を退職し、失業保険及び預金に頼る生活になつたので、相手方は生活に不安を感じるようになつた。

(4) 申立人は、昭和59年1月ころから製図会社の仕事をするようになつたが、その仕事振りは以前と同様であつたため、相手方は申立人の仕事振りや金銭的な無計画さに不満を抱くようになつた。

(5) 同年4月、相手方は出産のため実家に戻り、同年5月16日美子を出産したが、同児が動脈管開存症であることが判明したので、相手方と美子はしばらく相手方の実家にとどまることになつた。そして、相手方が同年8月ころ相手方の父に対し、申立人に対して抱いていた前記不満を述べたところ、相手方の父は驚き、申立人とその兄にこれを伝えて善処するよう求めた。

(6) その後、申立人は兄の経営する前記会社に復帰してまじめに働くようになつたので、美子の退院後は相手方も申立人のもとに戻るつもりでいたが、申立人が相手方の両親との約束を守らなかつたりしたことなどから、相手方の両親は申立人に対する不信を募らせた。

(7) 昭和60年3月美子が退院した後、申立人は相手方に対し、戻つてくるよう述べたが、相手方は、申立人と実家の二者択一を迫る言い方に反発してこれに応じず、次第に申立人と別れる気持ちに傾いていつた。

(8) 同年7月申立人が相手方と話し合つた際、相手方は、申立人と相手方の父とが不仲では困る、相手方の父の気持ちに背いてまでも申立人と同居する気はない旨述べた。

(9) 相手方は、同年8月、実家への転入届を了し、自分と美子を申立人の被扶養者から外してほしいとの手紙を申立人宛に出した。

(10) 申立人は、同年10月、相手方宅を訪れたが、相手方の父に拒否され、相手方らに会うことができなかつた。

(11) そこで、申立人は、同年12月19日、相手方との同居を求める調停を申し立て、調停期日は4回開かれたが、相手方及びその父は第1回期日に出頭したのみで、調停に出頭しても解決できないと考え、以後出頭せず、調停は不成立となつた。

(12) 申立人は、前記調停及び家庭裁判所調査官による調査の段階を通じて、相手方との同居を強く希望しているが、相手方は、申立人と相手方の父親の仲が悪く、申立人の生活態度等が早急に変化することも望めないことなどから、申立人との離婚を望む気持ちの方が強い。

以上の事実によれば、申立人と相手方は昭和59年4月から別居状態にあり、両者の信頼関係は失われており、相手方はむしろ申立人との離婚を望むなど申立人と相手方の婚姻関係は破綻していると認められ、その原因は申立人に対してかたくなな相手方の父の態度にもあるとはいえ、主として申立人と相手方の生活態度の相違や前記(2)ないし(4)、(6)のようなこれまでの申立人の行状にあるものと考えられるのであつて、現段階では申立人と相手方が同居することにより円満な婚姻生活を実現することはもはや期待することができないといわなければならず、したがつて、相手方に同居を命ずることは相当でない。

よつて、本件申立てを却下することとし、主文のとおり審判する。

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